Central Europe
2002.9.11 〜 9.20

10日間の中欧視察で旧東独・チェコ・ハンガリーの3か国共通に感じたことは次のとおりです:

1.地震の無い地域で134世紀建築石造りの宮殿・教会が社会主義体制を潜り抜け保存されている
2.社会主義体制が崩壊して10年強を経過するもホテルのウェイトレス・みやげ物店の売り子等に愛  想はなく同時に二人の客のオーダーを受け付けられない。
3.工場勤務者は朝6時からの8時間労働が、管理部門は8-4時が主流で美容室なども6時から営業  等全体に朝が早い。
4.都市部の通勤手段は市電と地下鉄が主体である。
5.ミナラルウオーター500mlがコーヒー1杯とほぼ同じ値段の
  100円ぐらいであり、チェコ・ハンガリーの工場勤務者の月給手取り3040千円と比べれば割高  である。

9/11()名古屋空港を発ち12時間の飛行の後フランクフルトにて乗り換え、旧東独ザクセン州の州都ドレスデン入り。
9/12(
)VWの最高級車PHAETON製造工場視察の後、観光の目玉であるツゥインガー宮殿・オペラ座他の市内名所観光。

9/12()午後磁器で有名なマイセンを訪れる。
1471
年に建築開始され1525年に完成のエルベ河河畔に建つアルプレヒト城内に1710年からヨーロッパで最初の磁器製作所が設立された。
城保存のため磁器製作所は1865年から街に移され、今はザクセン州立企業となっている。
製作所の直売店で『インドの華』なるコーヒー碗・皿1セット40千円を購入、帰国後JR高島屋で価格チェックしたら90千円に驚き。

9/13()ザクセン州の商都ライプチヒを訪れ午前中は時計・宝飾見本市を視察、午後は市内観光、18時から聖トーマス教会でパイプオルガンの演奏を鑑賞した。
入場料は無料なるも入館時1ユーロを寄付。
この教会内にバッハが埋葬されており、教会の前にはバッハの銅像が建つ。

9/14()ドイツから陸路バスでチェコへ移動する途中にSEIFFEN に立ち寄る。
ザイフェンの町はくるみ割り人形に出てくる人形とかクリスマスの装飾を菩提樹の木を削って制作し世界に輸出している。
国境ではバスに担当官が乗り込んできてパスポートを見せるだけでスタンプは押してもらえない。
おもちゃ博物館の画像と国境の画像です。

9/14()夕方にチェコの首都プラハに入り、夜は聖ニコラス教で560コルナ(2200)を払い Praga Sinfonietta Orchesutra コンサートを聴く。
曲目は次の通り:
 J.S.Bach  "Brandenburg concerto No.3 G Major,BWV 1048"
  A.VIVALDI  "Stabat Mater"
  W.A.MOZART  "The Little Night Music"

9/15()1日市内観光で、旧市街地のホテルから先ずバスでエルベ河に繋がるモルダウ川をはさむ丘に聳え立つプラハ城を訪れ、後はひたすら徒歩にて、城を下り有名なカレル橋を渡って旧市街地の名所を夕刻まで見て回る。
14
世紀に完成したプラハ城の近景、城内の聖ヴィート大聖堂、城からの市街地眺望です。

9/15()プラハ城を後にしてモルダウ河に掛かる有名なカレル橋を渡ります。
画像『カレル橋』の下に映る白いトレーラーは大洪水の復旧作業用です。
カレル橋は1357年から60年掛かって完成されたゴシック様式の石橋で全長516M9.5M、橋の両側に30の聖像が並んでいます。
橋を渡り終わりゴシック様式の橋塔をくぐって旧市街地に入ります。

9/15()カレル橋の橋塔をくぐり旧市街地に入り、今回の視察で初の和食として昼食にレストラン田村でうどんを食べるも、うどん粉を麺の形にしただけでうどんと呼べる代物ではなし。昼食後再び徒歩での観光を始める。
貴族劇場を通り、19681月ソ連からの独立運動『プラハの春で有名なヴァーツラフ広場に立ち歴史を思い起こす。
同広場で8月大洪水復興の義援金として全員が1100コルナ(400)を寄付する。


旧市街地の中心となる旧市街地広場に面して有名な建物が並ぶ。

ゴシック様式のティーン教会は2つの尖った鐘楼(高さ80m)を有し、塔の建設は1270年に開始され完成したのは1457年、塔の間の三角屋根には純金の聖母マリア像が輝いている。
旧市庁舎の天文時計は15世紀に作られ、毎時ちょうどになると文字盤上の小窓にキリストの12使徒が現れる。
ベネディクト派の聖ミケラーシュ教会は18世紀初頭に建てられたバロック様式である。

旧市街地のはずれに位置する火薬塔は15世紀に建てられたゴシック様式、火薬塔のそばにある市民会館は1911年に建てられたアールヌーボー様式と、様々な建築様式の歴史ある建物が保存されプラハ全市が世界遺産に指定されている。

夜は旧市街にある Resuaurant Mucha で食事をする。
このレストランの名前はチェコの有名な画家の名前そのもので、店内にはムハのタペストリーや絵が飾られている。

9/16()プラハからバスで2時間掛かりピルゼンビール発祥地の郊外に所在する Matusita Television Central Europe s.r.o 訪問し、昼食はピルゼン市内にあるプルゼニュスキー・プラズドロイ醸造所(1842年創業)のビヤホール Pilsner Urquell で乾杯。


その後プラハへ戻る途上
1時間の処にあるボヘミアングラスの手作り工場 Ruckl Crystal で製造工程を見学する。

9/17()早朝6時過ぎにプラハのホテルからバスで空港に向かい、64人乗りプロペラ双発(ATR72-202、機長27.17m)1時間半のフライト後ブダペストへ入る。
市内の Westend City Center にある欧米風のショッピングセンターを視察後は日本食レストランで親子丼を食し、ドナウ川のくさり橋を渡り王宮の丘に出掛ける。
市街地のペスト地区とドナウ川を挟むブダ地区の王宮の丘(南北約1.5kmの小高い丘陵地帯)には漁夫の砦、マーチャーシュ教会、三位一体広場、ブダ王宮の見所が点在する。

漁夫の砦は、この城砦を守っていたドナウの漁師たちにちなんで
名付けられ、1899年から6年掛けて築かれたロマネスク様式の建物である。
マーチャーシュ教会は13世紀に王宮の建設と時を同じくして建てられたが、14世紀マーチャーシュ王の時代に尖塔が造られたため、マーチャーシュの名で呼ばれるようになる。
三位一体広場は王宮の丘の中心となる広場にて、中央に立つ三位一体の像は18世紀に流行したペストから助かった人々によって建てられたものである。

ハンガリーの首都は1242年にエステルゴムからブダに移され、現在のブダ王宮は1950年代に修復されゴシック様式とバロック様式が混在する。
王宮の丘からドナウ対岸に国会議事堂(20世紀初頭の完成)が見える。
夜はホテルにJETOROブダペストの所長を招き『東欧経済セミナー』を聴講する。

9/18()8時半ホテルを出発してEsztergom(1242年までの首都で、今夏天皇皇后両陛下も訪問)郊外のスズキ現法MAGYAR SUZUKI, CORP.を訪問後、王宮の城壁内にあるレストランで昼食にハンガリーの代表的な牛肉の煮込み料理グヤーシュGulyas を食す。


昼食後、城壁の上に上がり1869年完成の大聖堂と王宮博物館を訪ねる。
城壁の下にはドナウ川が流れ、架かる橋マーリア・ヴァレーリアMaria Valeria hidcsonkja の対岸はスロヴァキアの町シュトロヴォである。

Esztergom から戻り夜は王宮の丘に位置しジプシー音楽の生演奏が聴けるレストランFortunaで最後の晩餐会を愉しむ。

9/19()1020Budapestの空港を発ちFrankfult経由で翌々日の9/20()815名古屋空港に帰着す。

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